千葉地方裁判所 昭和57年(わ)713号 判決 1984年2月07日
主文
被告人は無罪。
理由
一 本件公訴事実は、「被告人は、昭和五六年七月五日午後一〇時二〇分ころ、千葉県市川市田尻四丁目一四番二四号先路上において、播磨安年(当時三一年)に対し、その右顔面付近を足蹴にして、同人をコンクリートの路上に転倒させる暴行を加え、よって同人に頭蓋骨骨折等の傷害を負わせ、よって、同月一三日午前一一時二五分ころ、同市二俣一丁目二番五号所在の中沢病院において、同人をして右傷害による脳硬膜外出血及び脳挫滅により死亡するに至らしめたものである。」というのである。
二 そこで、検討するに、《証拠省略》を総合すれば、以下の事実が認められる。
1 被害者播磨安年は、昭和五六年七月五日午後六時ころから、自宅において、同人の妻光代、親しい友人であるB子及び同女の夫らとともに飲食し、更に午後八時ころからは、千葉市田尻五丁目一五番五号所在のスナック「サワ」に右の全員で出向いて飲酒していたが、B夫婦がかなり酩酊してしまい、些細な事で他の客と揉め事を起こし、特にB子は酒癖が悪く、喧嘩を始めそうになったため、播磨安年は、午後一〇時ころ、B夫婦を店から連れ出して帰宅することとし、同店を出た。ところが、B子は、まだ店に残りたい言動を示して大声で喚き散らしていたので、播磨安年は、酔っているから帰ろうとたしなめ、B子を抱えるようにして店の前の道路を横切り、向い側の同市田尻四丁目一四番二四号福田光司方倉庫前のコンクリート舗装された敷地上まで連れて行ったが、B子は、同女の夫が再び「サワ」店内に戻ってしまったのに気付いて怒り出し、「B、てめえ出て来い。」「こうなったのもてめえのせいだ。」などと大声で喚き散らして暴れ出したため、播磨安年は、再三「酔っているからもう帰ろう。」などと言い同女の腕を手で掴むなどして同女をたしなめた。しかし、同女はこれを聞き入れようとせず、かえって、播磨安年に対しても「うるせえ、播磨。放せ、この野郎。」などと喚きながら一層暴れるに至り、両者は同所で揉み合う状態となるうち、播磨安年が、B子の腕を払いのける格好となり、そのため同女は倉庫のシャッターに頭を打ちつけて大きな音をたて、コンクリート面に尻もちをつくようにして転倒した。
2 ところで、被告人は、英国人であり、昭和四八年に日本女性と結婚し、まもなく妻とともに来日して日本に住むようになり、英会話を教えるかたわら、空手、柔道等を習っていたものであるが、日本語に対する理解力は未だ十分とはいえない状態にあった。そんな昭和五六年七月五日午後一〇時二〇分ころ、被告人は、映画を見ての帰途自転車に乗り原木中山駅方面から稲荷木方面に向け道路左端付近を進行してスナック「サワ」の手前あたりに来た際、「サワ」の入口付近に三、四人の者が群がっているのを認め、道路中央寄りに進路を変えて進行しようとしたところ、道路右側の前記福田光司方倉庫前付近において、播磨安年とB子が揉み合っているのに気付き、「サワ」の手前で止まって見ていると、播磨安年がB子の肩や腕に手をかけ、同女の体を引いたり押したりしている様子であり、これに対し、同女は何か声を出しながらそれから逃れようとしているように見えたが、その直後、播磨安年がB子の腕を引っ張ったように見えた途端、同女が倉庫のシャッターにぶつかって大きな音をたて、コンクリート面に倒れるのを目撃し、同時にB子が「助けて」と叫ぶ声を聞いた。そこで、被告人は、B子が播磨安年から暴行を受けているものと思い込み、B子を助けなければならないと考え、その場で自転車から降りながら、播磨安年の方に向かって「やめなさい、女ですよ。」と叫び、直ちに同女の側まで歩み寄って、播磨安年に背を向ける形で二人の間に割り込み、両手でB子の両腕を掴んで「大丈夫ですか。」と尋ねて、同女を助け起こそうとしたけれども、同女は起き上がれるようではなかったので、同女から手を放したが、その際、同女は、被告人に対し、初め「助けて」と言い、その後「助けて」にあたる英語で「ヘルプミー、ヘルプミー。」と繰り返して被告人に助けを求めた。そこで、被告人は、体を右に回転させて播磨安年の方に向きを変え、B子に対して更に攻撃を加えることはやめるようにという意味で両手を胸の前に上げ、その掌を播磨安年に向ける仕種をしたところ、同人は左足を右足よりやや前に出し、胸の前で両手を拳に握って左手を前に右手をやや後に構える、いわゆるボクシングのファイティングポーズのような姿勢をとったので、同人がB子に対して暴行を加えていたものと思い込んでいた被告人は、これを見て、更に播磨安年がB子のみならず自分に対しても殴りかかってくるものととっさに判断し、同女及び自己の身体を守るため、殴られまいとして播磨安年の右顔面付近を左足で回し蹴りにしたところ、同人はその場に転倒してしまった。被告人は、既に立ち上がっていたB子に「大丈夫ですか。」と声をかけたり、その付近路上にいた人達に「警察呼んで。」と大声で三度繰り返した後、長居をすれば播磨安年の仲間が集まってくるなどして自己が攻撃を受けるかも知れないと怖くなり、その場を立ち去った。播磨安年は、転倒した際にコンクリート面に左側頭部を打ちつけて、頭蓋骨骨折等の傷害を負い、そのため同人は、同月一三日、中沢病院において脳挫滅により死亡するに至った。
もっとも、第二回公判調書中の証人星里美の供述部分中には、被告人が回し蹴りをする直前、播磨安年は手を下の方に下げて立っている状態であった旨述べる部分があり、同人が両手を拳に握って左手を前に右手をやや後に構える、いわゆるボクシングのファイティングポーズのような姿勢をとった旨述べる被告人の供述と喰い違っているけれども、被告人が介入した後の事態は、暗い現場でのごく一瞬の間に推移したものであり、かつ大きな音をたてて倒れ、起き上がれない状態にあるB子に周囲の視線が注がれる中でのものであることにも鑑みるならば、一瞬の出来事を傍観者において各当事者の一挙手一投足まで正確に認識することはそもそも容易なことではなく、現に星里美は被告人の蹴り足が左であったのを右であったと重大な見誤りをしていること、また星里美は終始播磨安年の方を見ていたわけでもないことが認められるのに対し、被告人の方は播磨安年と目の前に対峙していたものであることに加え、そもそも見知らぬ者から「助けて」と言われ、親切心から助けに行った被告人が特段の事情もないのに播磨安年に攻撃を加えなければならない理由は少しも存在しないのであるから、この点、被告人の供述を措信すべきものであり、前記認定に反する証人星里美の供述部分は措信し難いところである。
三 以上の認定事実によれば、播磨安年は、酩酊して酒癖の悪いB子をたしなめながら、帰宅させようとして同女の体を抱え、それから逃れようと反発する同女との間で揉み合いとなり、そのうち弾みで同女を転倒させてしまったものであり、親しい間柄にある同女に対し殊更危害を加えようとの意図はなかったものと認められ、またその場に来た被告人に対しても、もとより積極的に攻撃を加える意図まではなかったものと認められるから、被告人が見たところの播磨安年の両手を拳に握って構えた姿勢というのは、突如その場に現われた被告人に対する播磨安年のむしろ防禦的な身構えの姿勢に過ぎなかったものと認めるのが相当である。してみると、播磨安年が、B子及び被告人に対して急迫不正の侵害をなしていた事実は存在しないのであるから、被告人の播磨安年に対する左回し蹴りの所為を正当防衛行為ということはできない。
しかしながら、急迫不正の侵害がないにも拘らず、被告人は、播磨安年とB子が揉み合う状態から、同女がシャッターにぶつかり大きな音をたてて転倒したのを目撃し、助けを求める同女の叫びで同女の側まで近寄って助け起こそうとした際、同女から「ヘルプミー、ヘルプミー。」と助けを求められたので、播磨安年の方に向きを変えたところ、同人がいわゆるファイティングポーズのような姿勢をとり、被告人と対峙した形となったため、右一連の状況から、それまでの経緯や播磨安年とB子との間柄を知らない被告人は、播磨安年がB子に暴行を加えていると思い違いをしたうえ、更に自己にまで攻撃を加えようとしているもの、即ち、B子及び自己の身体に対する急迫不正の侵害があるものと誤想してB子及び自己の身体に対する防衛行為として播磨安年に対し左回し蹴りを行ったものであることは、前記二の2で認定のとおり明らかである。
四 そこで次に、被告人の左回し蹴りの所為が防衛の程度を超えた行為か否かにつき検討する。
前記認定のとおり、被告人は、播磨安年がB子に対してシャッターにぶつけるような転倒をさせるという暴行を加え、更に同女のみならず、これを助けようとした自己に対してまで手拳で殴りかかってくるものと誤想し、防衛のため左回し蹴りで反撃したところ、同人はその場に転倒し、コンクリート面に左側頭部を打ちつけて、脳挫滅により死亡したものである。
ところで、《証拠省略》によれば、被告人は、剛柔流の空手三段であり、左利きで左回し蹴りが得意技であること、空手技による反撃方法としては、「急所蹴り」、「足払い」なども可能であったが、これらはいずれも相手の急所に打撃を与えたり、相手を即転倒させて地面に頭部等を強打する危険性の高いものであること、そして、回し蹴りには、足の親指爪先裏付け根の堅い部分、即ち虎趾の部分で相手を打ち強力な打撃を与えるものと、足の甲の部分で相手を打ちそれ程強度な打撃を与えないものとの二種類があり、比喩的に言えば、前者は手拳打程度の、後者は平手打ち程度の、強さに差があり、即ち後者は手拳で殴打する「正拳突き」よりも威力が劣ること、本件で被告人が使った左回し蹴りは、足の甲の部分で打ったものであり、通常は打たれた者において簡単に倒れる程強力なものではないこと、従って、現に本件においては、左回し蹴りの当たった播磨安年の右顔面付近には何らの損傷も生じていないのであって、このことは被告人の左回し蹴りによる打撃の程度がそれ程強烈なものではなかったことを推認させること、ただ偶々当時播磨安年は相当酔っており、しかも同人にとっては不意打ちであったことから、被告人の左回し蹴りを受けて転倒してしまい、更にはコンクリート面での打ち所が悪かったことなども重なって脳挫滅により死亡したこと、しかし、本件はとっさの出来事であって、当時被告人は、播磨安年が酩酊していたことは知らなかったし、また、同人を回し蹴りしたのは、それにより同人をひるませて攻撃の阻止を企図したもので、同人をコンクリート面に転倒させることまで意図したものではなく、まして、播磨安年がコンクリート面に左側頭部を打ちつけ脳挫滅により死亡するということに至っては、被告人にとって全く予想外の結果であったことが認められる。
そこで、右の事実並びに前記二において認定した事実によれば、播磨安年の行為についての前記被告人の誤想を前提とする限り、その反撃として被告人が播磨安年に対して左回し蹴りに及んだ行為は、相互の行為の性質、程度その他当時の具体的な客観的事情に照らして考察するならば、B子及び被告人の身体を防衛するためにやむことを得なかったものと言うべく、防衛手段としては相当性を有するものであって、防衛の程度を超えた行為ということはできない。確かに、反撃行為により生じた結果は重大であるが、反撃行為により生じた結果が偶々侵害されようとした法益より大であっても、その反撃行為そのものが防衛の程度を超えていないものである以上、過剰防衛となるものでないことは論を俟たない。
五 また、以上認定した諸事情の下では、当時日本語の理解力が十分でなく、英国人である被告人が、誤想したことについて過失があったものと認めることもできない。
六 以上の次第で、被告人の本件行為は、誤想防衛に該当して、故意が阻却され、またその誤想したことについて過失は認められないので、結局被告人の本件行為は罪とならないものと言わなければならない。
よって、刑事訴訟法三三六条により、被告人に対し無罪の言渡しをする。
(裁判長裁判官 太田浩 裁判官 小倉正三 永井崇志)